母のこと・・・1

おはよう^^
今日も 雨。。。
本格的に洗濯物が やばいっす(T_T)
こちらの気の揉みようなど気にもせず
どんどん洗濯物を出す子どもら。。。
お~~~い 最終的に着る物無くなって困るのは
自分たちだからね~~。
わたしゃ~ 専業主婦だけど 天気だけは どうにもできんぞ!
1回 着たくらいで 出すなや(-_-;)

今日は 次男と末娘の英検の合否がわかるらしい。
あまり期待せずに でも希望はもって待ちましょうかね。


ちょっとづつ 母や父のことなど書いてみようかな。

母は 私生児だったようだ。
母は 祖母の結婚で 祖父の籍に入った。
祖父も先妻を亡くし 連れ子が2人いた。

※私がこの事実を知ったのは 中学生の時に祖母が亡くなった日だった。
祖父とは 血がつながってなかったという事実に少しショックだった。
他県に住む別居だったけど 会いに行くと優しく迎えてくれていたし 
裏事情を知らなかったから。

祖父母は 再婚後 子どもを次々と5人産み
双方の連れ子を含めると 8人も子どもがいた。


貧乏の上 子だくさん。
母は 親戚の家に 小学生の低学年の頃に預けられた。


自分の家では 義理の姉2人にいじめられ
預けられた親戚の家では 年上のいとこにいじめられ
居場所がなかった母。
でも 母は 強かった。
気が強いのだ。
たぶん環境がそうさせたのだろう。


中高校生になると たまに自分の家に帰っては
半分血のつながった 下の兄妹たちを子分のようにして
家中の掃除をさせたり いたずらしたりしたそうだ。
「私の家は ここ。遠慮なんかしない。好きな時に帰ってきてなにが悪い」
と 祖母に言っていたようだ。


私は 幼かったから知らないが 母が私たちを連れて 実家に帰ると
祖母から
「あまり帰ってこないで。父ちゃんとお前は 血がつながってないから、気を使え」
などと言われたようだ。


もちろん そんなことは 気が強い母は 跳ね返していたが・・。

・・・気が向いたら 続けます。


※昔々のことです。
戦前 戦中 戦後を生きてきた頃のこと。
こんな話は あちこちあったことでしょう。






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