(3)無い物ねだりの一生

おはよう^^
今日も晴れ!
明日は 雨ぽいので 洗濯物は 早目早目に
やっちゃいましょう。
昨晩は 初めて雑穀入りのご飯にしたよ。
お赤飯みたいで おいしかったけど
家族は いまいちだったかな~?
とろろを掛けてあげたら 「合わない」と 娘に言われちゃった~orz
まぁいいか~。
まだ雑穀が残っているから めげずに作ろうっと(笑)


無い物ねだり・・
ははは
なんだか 長いな。
自分の汚点をさらけ出しすぎなような気分になってきたぞ。
ここからは 特に気分を害するブログになりそうなので
気になる方は スルーされてください。


結婚は 始まりであってゴールじゃないっていうけど
出産もそうだったのかと 出産して思いしらされた ばか親です。
妊娠中は スキーができないから
出産したら またスキーに行こうと思っていた。
行かれる余裕なんてゼロだった。


抱っこしてないと泣く(背中にセンサーがついているんじゃないかと思うほど)
夜は 寝ない。
母乳をあげれば ゲボゲボ吐く。(耳の中は 吐いた母乳が入るのか 汚い)
紙おむつなのに いつも漏れて濡れている。
おしりが 真っ赤にただれるから 
ウンチの時は 必ずお湯でお尻を洗う。(おむつが外れる3歳までやっていた)


なんで子どもを産んじゃったんだろう。
なんで結婚しちゃったんだろう。


今度は 独身の女性や 子どものいない既婚者が
羨ましくて 羨ましくて。


ベビーカーに乗せると 泣く長男だったから
ゆっくりお散歩なんかできなかった。
どうしてもベビーカーに乗せないと動けない時は
号泣する長男を乗せて 走ったこともあった。
(うるさくて周囲に迷惑だろうと思って走った)
輝く世界一幸せなママには なれない・・というか 幻想だと思った。


その後 次男・娘を出産して
(あまりに長男が大変だったので 一人っ子で良いと思っていたけど)
長男ほど大変ではなかったが 夜は 浅くしか眠れない日々が
長男出産時から 娘が8歳になるくらいまで 10年以上続いた。
(やっと 最近は 子どもを気にせず眠れるようになった。)


そして今は
自由時間は たくさんある。
またまた 無い物ねだり(笑)
かわいい赤ちゃんを連れた 若いママさんを見ると
「あ~~なんて 幸せそうなんだろう」と 思う私がいる。
年齢的にも 経済的にも 精神的にも もう無理であることは 承知している。
だけど・・・
あの丸くズッシリとした赤ちゃんのお尻をみると
「あ~~もう1度 抱っこしたい」って思う(笑)
(孫っていう手もあるけどね)


私の無いものねだりは 一生続くだろう。
「希死」もそのひとつ。
ただ 死んだ後にも 感情というものが存在するなら
きっと
私は
「やっぱり生きていれば良かった」と思うんだろうな。
そして生きている人を見て 羨ましがるんだろう。
死んでも直らないとは こうゆうことなのだ。







(2)無い物ねだりの一生

おはよう^^
今日も晴れ!
でも昨日 いっぱい洗濯したから今日は やらない!(笑)
体を 動かしたいな~~。
簡単に行かれる公共のジムとか 良いよね。
夫くんと一緒なら 行かれそうなんだけど
一人で・・・っていうのは ちょっとね~~~(^_^;)
おひとり様上等!! っていつも書いてるけど
敷居が高いかな。


無い物ねだり・・・
そうそう 専門学生の頃
彼氏がいなかった私は 1年間くらい 彼氏がいる振りをしてたっけな~。
周りは皆 彼氏がいたから 見栄を張りたかったんだよね。
片思いの人がいて その人と 仮想恋愛してたんだ。
イタイ話だわ。


就職してからは アルバイトの頃と同じで
外を自由に歩く人を羨ましく思っていた。
早く結婚して ここから出たいと思っていた。
ベビーカーを押している若いママさんが 輝いて見えて
世界一の 幸せ者に見えた。


結婚して 長男を妊娠して
出産1か月前に 寿退社した。
出産までの 1か月が 本当に幸せな時間だった。
自由!
高校時代から アルバイトしてきたから
1か月も自由に使える時間を もらって 幸せだった。
大きなお腹で 風呂場を洗ったり
玄関をみがいたり。周りが心配するほど 自由を満喫した。


そして出産したら・・。
世界一の幸せ者になって ベビーカーを押す私。
でも。。。


続く・・・

(1)無い物ねだりの一生(10月24日)

こんにちは^^
今日は 晴れ!
駅伝日和(笑)
娘ちゃんの駅伝だったから(補欠にもなれず マネージャーだったよ)
私は いつも通り5時起きで お弁当作り・・。(朝寝坊したいよ~~)
マネージャーの娘ちゃんは 応援係なので
私達夫婦は 応援する娘を応援するしに・・。
って さすがに そこまで 私達は親ばかじゃないので 行かなかった。
(でも 娘に来てと言われたら いそいそと言っちゃう可能性 大!)
結果は 陸上部が 無いのに まぁまぁの成績だったようですよ。
いろんな意味で 良かった 良かった。(終わって良かった)


私が 高校の頃
我が家は 貧乏で 会社経営もつぶれる寸前だった。(結局つぶれた)
毎日毎日 借金とりから電話が鳴り 
うちの電話は いつも座布団の下で くすぶった音を鳴らしていた。
公共料金が払えず 電話が止まることは いつものこと。
専門学校へ進学したかった私は 学費を貯めるために 
高校生からアルバイトの毎日だった。


アルバイトしていると
外を歩く人が 皆 自由に見えて
私も この扉を開けて 自由になりたいと 願った。(それをしたらクビだけど)


ある時 アルバイト先を 探しても 探しても 見つからず
面接は 落ちてばかりだった。
父親は 自分のことを棚に上げ 私ばかりを 責めた。
「早く アルバイト先を見つけろ」と・・。
毎日 言われた。(モラハラのある父だった。今は 落ち着いたけど)
そんな時は・・・
仕事をしている人が 羨ましくて 羨ましくて 仕方なかった。
早く アルバイトしたかった。


続く・・・